青の闘病記録

精神疾患でも今日を生きてる。

君が死んでも

パートナーがきっと先立つだろうということを今日聞きました。

まだ先の話です。未確定です。まだわかりません。でも彼は病弱で私より歳もそこそこ上です。順当に進めば私より先に死にますし、病気で死ぬのであれば私は早くに取り残されます。

以前の私であれば「死ぬ前に殺してくれ」と言ったでしょう。でも私は「君が死んでも生きていくよ」と言いました。

私は死にたい死にたいと喚きながらも生きたいのだと思います。生きるのが苦しくて苦しくて仕方なくて逃げ出したいからその術として死を選択しているだけなんだと思います。希死念慮ってそういうものなんじゃないかなって思います。

今日は大学に遊びに行きました。本当はダメだけどこっそり講義も聞きました。楽しくて復学したくなりました。

帰りの電車で私は「あれ?私ひとりで生きていけるの?」といきなり不安と焦燥に駆られました。

家賃の払い方も役所への道順もわかりません。病院以外の公共施設の番号が分かりません。

でも生きていくのだと思います。生きたい、とかじゃなくて、生きてしまう、と言った方が正しいと思います。

希死念慮の正体が生きていることそのものへの苦痛だ、とわかった日でした。